希林さん 愛された型破り人生
核心提示:ドラマ「寺内貫太郎一家」や映画「万引き家族」などに出演した個性派女優、樹木希林(きき?きりん)さんが15日午前2時45分
ドラマ「寺内貫太郎一家」や映画「万引き家族」などに出演した個性派女優、樹木希林(きき?きりん)さんが15日午前2時45分、東京都内の自宅で死去したことが16日、分かった。15日に75歳で亡くなった女優、樹木希林さんは20代から老け役を演じ、コメディーからシリアスまでこなす個性派女優として活躍した。独特のスタイルを貫き、マネジャーをつけず、仕事は全て自身で管理。プライベートでは、1973年にミュージシャン、内田裕也(78)と結婚した1年半後から別居していたが、夫の不祥事で矢面に立つなど型破りな夫婦関係も注目された。
味のある演技で魅了した樹木さんは、公私で独自スタイルを貫いた。
高校を卒業する際、琵琶奏者だった父親に勧められ、大学の薬学部を受験しようとしたが、スキーで骨折をして受験を断念。文学座に入った。
森繁久彌さんの主演ドラマ「七人の孫」のお手伝いさん役で注目され、「寺内貫太郎一家」の主人公の母役などを好演。20代から実年齢とかけ離れた老け役が十八番だった。
その後は映画に主軸を移し、晩年は映画「万引き家族」など是枝裕和監督(56)作品の常連になり、仏のカンヌ国際映画祭にも足を運んだ。
歯に衣着せぬ発言でも知られ、1979年、ドラマ「ムー一族」の打ち上げでTBSプロデューサー、久世光彦氏と出演女優の不倫を暴露し、騒動に発展したことも。
私生活では内田と再婚した1年半後から40年以上も別居。常識外れの夫婦関係を「私にとっての重し」ととらえ、CMやテレビでも共演した。
2011年に内田が女性トラブルで逮捕されると自宅で会見し、矢面に立った。「さらしてくれて逆にありがたい」と突き放すも、「籍を入れた以上、引き受けていくしかない」。何事にも達観したような印象だが、会見後に帰ろうとする報道陣を「寂しいから、もっと話さない?」と引き止める愛らしさもあった。
大御所でありながら、マネジャーをつけず、仕事のスケジュールを自身で管理していたのは、有名なエピソードだ。
左目の失明や全身がん、体をむしばんだ病とも気丈に闘った。今年8月には大腿骨骨折で入院し、出演予定だったテレビ番組に電話で登場。また、イベントに出演する義理の息子で俳優、本木雅弘(52)に病床からのメッセージを託し、「細い糸1本でやっとつながってる 声一言もでないの しぶとい困った婆婆です」と直筆のイラストも添えた。最後までらしさを全うした女優人生だった。